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二〇〇五年 五月 二五日(水)
京都守護職始末
幕末の資料として一級品と言えるもののひとつに「京都守護職始末」があります。
これは、旧会津藩家老であった山川浩が、会津藩の正義を世に訴えるために明治44年に発行したものとされていますが、実際は山川浩の死後にその弟である山川健次郎の手によって完成・発行されました。
この本は、明治維新の真実を揺るがすような内容であったため、発刊される数年前にすでに完成していたにもかかわらず、明治政府からの圧力により発行は見合わされていたのです。
当時、旧会津藩主・松平家の家政顧問であった山川健次郎は、財政が貧窮した松平家を救うため、長州出身で陸軍中将だった三浦梧楼らに、孝明天皇が容保に与えた書簡と和歌を見せて経済的な援助を求めます。
それらは孝明天皇の松平容保への信頼の厚さが伺えるものでした。
会津を賊として討った明治政府としては、非常に具合が悪い。
どうすべきか・・・三浦は山県有朋らと相談します。
結果、松平家に三万円を下賜し、それと引き換えに「京都守護職始末」の出版を差し控えて欲しいと申し入れることになります。
「京都守護職始末」の発行は兄・浩の悲願でしたが、健次郎は松平家を救うためにこの条件をのみます。
しかし、明治37年。
元会津藩家老・神保内蔵助の次男で、後に長崎市長となった北原雅長が、会津藩の勤皇の立場を顕した「七年史」を出版します。
「七年史」に上記の書簡と和歌が載っていたことから、健次郎はもはや出版を自粛する必要がないと判断。
明治44年11月。
ついに「京都守護職始末」を発行しました。
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こちらが「京都守護職始末」に添付されている書簡です。
表紙
明治44年発行。非売品だったようですね。(見づらくてすみません)
それにしても・・・明治のものなので、まともに読むのは難しいです。(笑)
口語訳されたものを買わねば!
01:会津藩 : 23:52 | コメント (4) | トラックバック
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» 初代長崎市長は旧会津藩士だった。 from ウエストコースト日日抄
今年も会津に行けず、ストリーミング中継は繋がらないで、あきらめて机回りの大掃除をしていたら、本箱の奥から古めかしい本が出てきた。
「京都守護職始末1ー旧会... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2005年09月26日 14:49
» 「京都守護職始末」 from Go Plain!
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... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2005年12月27日 15:42
コメント
はじめまして、長崎のwindowheadです。
「京都守護職始末」についての貴重な文章を読ませていただきました。この文章で、初代長崎市長・北原雅長が、神保修理の弟だと言うことを知りました。ありがとうございます。
トラックバックもさせていただきました。
投稿者 windowhead : 2005年09月26日 15:00
windowheadさま
コメント&トラックバックありがとうございます。
北原雅長は最初の長崎市長だったんですねー。
それが元会津藩家老の弟というのは・・・どんな顛末があったんでしょうか。
なんとも興味をそそられる話ですね。
投稿者 わだ : 2005年09月26日 22:23
こんにちは。長年この本を手に入れようとあれこれチェック入れてるのですが、
なかなかゲットすることままならず、ついに図書館で借りてきてしまいました。
でも読み進めるうちに、やっぱり欲しくなってしまい
まだまだ探し続けるつもりです。
非売品の時のをお持ちになっていらっしゃるなんて羨ましい…。
TBさせて頂きますのでよろしくお願いいたします。
投稿者 Aki_1031 : 2005年12月27日 15:05
Aki_1031 さま
トラックバックありがとうございます。
この本は、会津の古本屋さんから手に入れました。
今はもう在庫がないようですが、ぜひチェックしてみてください。
投稿者 わだ : 2005年12月28日 00:58