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二〇〇五年 六月 二九日(水)
天忠組より天誅組
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天誅組の変の舞台、東吉野村にて、生き残った志士・北畠治房(平岡鳩平)の手紙が見つかったそうです。
その手紙では、幕府にへつらうやつを懲らしめるため『天誅(天罰)を加える』などと立て札に書いたのが天誅組の由来であり、「天子(天皇)に忠する」の意味じゃないよ!と指摘しているのだとか。
東吉野村で「天誅組終焉の地」展が開催中らしいのですが、そこでその手紙も見ることができるのでしょうか?
お近くの方、管理人の変わりにぜひ確かめてください。(笑)
10:幕末トピックス : 23:43 | コメント (2) | トラックバック
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コメント
展示されていましたよ。販売の図録にも全文が載っておりました。入手は今でも可能です。
ただ、私は北畠説は信用していません。書くならば忠派です。
本来志士自身が名乗ってはいないので、忠すらおかしいのでしょうが(笑)。
投稿者 ひこちゃん : 2005年11月06日 16:55
おお、ご報告ありがとうございます。
私も「忠」派です。(笑)
思想も持たずに参戦していた志士もたくさんいたでしょうから、こういったやりとりは絶えなかったんだろうなぁと勝手に想像してしまいます。
投稿者 わだ : 2005年11月07日 22:14